美味しいって何だろうか
この間都内にラーメンを食べに行きました。
私はラーメンが好きでいろいろなところへラーメンを食べに行きます。
特に全国でおいしいと評判の有名店によく足を運びます。
今回も例に漏れず結構有名なお店に行きました。
そこは塩ラーメンをメインにしているお店で多くの賞を取っていて、ネットでの評価もかなり良いお店でした。
これだけのお店ならさぞかしおいしいんだろうと私はワクワクしながら待っていました。
そうして私のところに来たラーメンはとても透明感があるきれいなスープで、具の色のバランスがとても良い洒落た感じのラーメンでした。
期待に胸を膨らませてまず一口スープを啜ってみた。
そうしたら私が感じたのは「うまい」じゃなくて「うすい」でした。
そんなはずはない。これだけ有名な店だ。私の勘違いだ。と思いもう一口啜ってみてもやっぱりスープは薄かった。
下の方から掬ってみても味は変わりませんでした。
しかし、ラーメンは総合評価。麺がとてもおいしいのかと思って気を取り直して麺を啜ってみたものの、ちょっとした塩味と麺に絡まる油しか私には伝わってはこなかったんです。
自分の舌にはそこそこ自信があった私が食べ終わった後にした行動は仲間探しでした。
自分のようにおいしくないと感じた人が実は多かったのではないか。そんな一縷の望みにかけてネットの評判を読み漁ってみたが、だれもかれも素晴らしいラーメンの一点張りで、あんまりおいしくないなんて言っている人はそんなにいませんでした。
そうなってくると悪かったのは私の舌ということに他ならないわけです。
だが本当にそれでいいのか。ほかのラーメンのうまさの違いはわかっていたのに今更舌がばかになるということがあるのだろうか。
そうして、自分の舌を信じた愚か者の私は結局おいしいとは何だろうかと考え始めました。
調べてみたところラーメンには無化調か否かというものがあるらしい。
無化調とは化学調味料を使用していないラーメンのことを言って、私が今回食べたラーメンも無化調でした。
無化調ラーメンについて調べてみると、無化調はおいしくない、ラーメンをおいしくするには化学調味料は必要とする話が散見できました。
よく考えてみると現代の食事のほとんどに化学調味料は使われています。
コンビニの弁当や、スーパーのお惣菜、外食チェーンの料理、果ては家で作る味噌汁にも化学調味料を使っている場合がほとんどでしょう。
そして、果汁が1%ぐらいしか入っていない炭酸飲料をおいしいと感じて飲む。
無化調を正義とするならこのような紛い物はすべて悪となってしまいます。
しかし、これらのものがまずかったら売れるはずもなく、どれもこれもとてもおいしいのです。それが作られたまやかしの味だとしても。
話を戻しましょう。私が食べたラーメンはおいしかったのかそれは私の中では否だった。そう言った結論になります。
勘違いしないでほしいのはこれは私の好みの問題というわけではないということです。
これは私がおいしいと知覚できなかったからおいしくなかったといえます。
つまり、認知の問題だと考えています。
認知は様々な要因によって引き起こされます。
食べものに関する認知で一番わかりやすいのは「芸能人格付けチェック」だと思います。
人間は様々な要因を総合して評価するので、目が見えない状態で物を食べたときに正確に評価するというのは非常に難しいことです。
さらに、おいしいと言われて食べれば自然とおいしく感じますし、体裁を気にすればおいしいと言わざるを得ないこともしばしばでしょう。
結局人間はそういった認知による影響を多大に受けています。
よって、認知できなければないものと同義のように、おいしく感じなければおいしくないのは道理ということになります。
そう考えると私は情報に流されない優秀な自己を持っているということになるのかもしれません。
ということで今回は私のグルメな馬鹿舌について屁理屈を並べたことをお許しくださいアーメン。