愛がないセックスは悪という風潮にメスを入れたい

まずとは何でしょうか。

私が思う愛とは「慈しみ」だと思います。目に入れても痛くない。それのためならばすべてをなげうてる。これこそが愛だと。

そう考えると現在の夫婦観とは愛とは程遠いものですね。自分が楽をしたいがために相手に面倒を押し付ける。それが不満につながり関係が悪化していく。

全く相手を思いやっていませんよね。お互いに思いやりの心があるのなら押し付け合うのではなく、面倒を自ら積極的に受け入れようとするのではないでしょうか。

 

私の「愛」を基準に考えると多くの夫婦や恋人間で行われるセックスは「愛のないセックス」といえるかもしれません。

多くがするセックスが愛のないものであるとするとセックスの存在意義は何でしょうか。

私はセックスは生理現象に近いものであると考えています。

結局生物は種を残さなくてはならないので、セックスがしたいという欲求は止めることが出来ないと考えられます。

セックスが生理現象ならば長らくご無沙汰だった夫婦が不倫などをしてしまうのも仕方がないように感じますね。

そう考えるとそれを抑えようとする自慰行為はとても理性的といえるかもしれません。

 

しかし、理性で本能を完全に抑えるのは難しく、そのため過ちを犯してしまう人が後を絶たないわけでしょう。

それにもともと人間は乱婚制だったという説があります。

人間に近い種のボノボやチンパンジーはこの乱婚制です。

乱婚制とは群内で一匹のメスに複数のオスが交尾をするような形態のことを言います。(乱婚についてはこの記事を参照http://nanigoto.hatenablog.jp/entry/2016/12/25/002045

そうした場合現代の中性的な男性よりも、男性ホルモンがすごそうな人のほうが有利になりやすくなります。

そうするとより男性的な種が残っていき、最終的に暴力が支配する世紀末になる・・・。

と戯言はこの辺にして、そう考えると複数の相手とセックスをしたくなるのは仕方がないことで、セックスはもっとオープンにスポーツのように扱うべきなのではないだろうか。

 

まあ詰まる所自慰行為の延長上にオープンなセックスが位置づけられるというわけですね。

これのメリットは一瞬の過ちが子供など家庭に大きく影響を及ぼすことが少なくなります。

そうなることで子供の教育の安定などが望めます。

デメリットとしては夫婦の境界があいまいになることです。ほかの男に抱かれる妻、ほかの女を抱く夫。そうなると子供の存在が希薄になると思います。

 

どちらがいいとははっきり言うことが現状ではできません。

しかし、セックスがパートナーとしかできないという制限が大きな枷となっているのは事実だと思います。

その枷が外れた人間がどうなるのか、どう行動するのかが知りたいというのが率直な意見です。

前回記事を見た方ならお気づきかもしれませんがこの考えの根底には私の趣味嗜好が少なからず絡んでいます。

ちょっと変態チックな非モテの戯言でした。